この日も曇りで、最高気温は6度だったらしい。
歩いている時には寒さも感じず、時々は晴れたりもするので気持ちがよかった。
この日からは地元佐賀の道。
気楽な装備で家を出て、武雄に車を停めJRバスの彼杵行きに乗ってほぼ県境の「関所跡」で降りる。前回は領境石から歩いて国道34号線と突き当たる所から渡った道を途中まで行ったものの、引き返しそのまま34号線を歩いて帰った。
今回は「伊能図で甦る古の夢 長崎街道」を持っているので鬼に金棒。前回の道が正しかったのが解った。なにせ、佐賀に入ると道しるべが何もない…。そのまま34号線を突き抜けて行けば良い。
食堂の少し先に左へ降りる道を行くと川沿いの道に出て「平野川の渡し」に出る。
34号線西側の旧街道をそのまま市街地へと…
なかなか風情があり良い道である。
案内板はないが、地域の人に聞けばほぼ全員が案内してくれた。
湯野田公民館から直ぐに34号線に出てをそのまま横断。
ここから「西溝口跡」までは旧街道は無くなっているので、「商店街本通り」へ続く道を真直ぐに歩くといい。
足湯
「西溝口跡」
商店街本通りの端の和多屋別荘の入口に旧街道が残っている。
その短い通りを抜けると、新興住宅地があり、通りに長崎街道敷陶がしてある。
敷陶が終わる所辺りから、左に折れ、34号線と商店街本通りの分岐に出る。この辺りは非常に解り辛かった。道向こうの「ほっともっと」を左へ。
坂を上り、下宿保育園を過ぎた突き当たりを右へ。
「明元寺山門」など過ぎたら塩田道との分岐に出る。
ちょうどここには嬉野商業高校が建っている。
塩田道はいずれ行くとして、武雄へは左折をする。
嬉野老人ホームを少し過ぎた辺りに右折する道がある。ここはよく迷いやすい道だそうで、注意がいる。
よく見たら有志の手による案内板がある。
これがどれだけ心強かったか…
感謝である。
ここからは山道を歩く。「三坂峠」というらしい。
きれいなお茶畑や杉林を歩く。少し淋しい感じの所もあるが、こういう道が残っているのは嬉しいし、歩いてても疲れない。再び34号線に交わる手前に左折をするところがある。
この電柱の所を左折。
鄙びた風景もまだある。
この道を降りると国道34号線沿いの秘宝館の裏に出る。ここからは旧街道はなくなっているようなので、国道を歩いて北上して武雄市に入る。
普通の国道を歩くのはあまり面白みがない。疲労感が増すのがわかる。旧街道は34号線の東側に沿っていたようだが今はもう無い。東川登小学校周辺に一部残っていた。公民館を過ぎた辺りが少し変わったのか、解り辛かった。「亀水」の交差点を左折する。
不二コンクリートをそのまま通り過ぎ、ひたすら真直ぐに進む。「中修寺橋」という小さな橋を渡った辺りから渕の尾峠への登り坂になる。昔の峠はもう無く、旧街道はダムの底に沈んでいる。なのでダムの舗装された道を歩くのみ。歩道が狭いので車には要注意!ダムの堰が見えてきたら武雄の街も近い。
ダムを降りたら水路に沿ったように歩くと石橋がある。
道なりに歩くと国道35号線に出る。
斜めに道を渡り、小屋の裏のあぜ道が旧街道のようである。
そこから35号線に沿って道の北側に旧街道が続いている。
道しるべはないが、人に聞けば誰もが親切に教えてくれた。
知らない人はいないくらいだ。
佐賀の旧街道は人に訊け!という事か…
それもまた良し!
線路の横断時は注意!
この武雄市街地の旧街道は、狭い道だけどもそこに暮らす人、家の感じがなんとも良い感じである。観光開発の手はかかってない素朴な街の風景だった。
温泉通りの「高札場跡」の碑まで歩き、この日は終了!
武雄温泉の楼門は、東京駅の辰野金吾作である。
歩いた時間は食事、休息いれて6時半間程
佐賀のこの区間の道は地図なくしては歩けなかったのだが、思うに道しるべを要所に置いたり、長崎街道を軸にした街作りを工夫したら街の楽しみのバリエーションも増え、もっと粋な街になるのような気がする。旧街道は歩くのにとても優しいし、歴史も学べる。健康にも良いしウォーキングとかのイベントに役立てるのも良いだろうし、古い町並みは芸術的な事にとても合うのではないだろうか?!なんて、来る度に新しくなっていく武雄市を歩いて思った。なにより、旧街道というのは年寄りを敬う事と似ていると思うので、大切にして欲しいものだ。
武雄温泉に浸かり、労を癒した。
いつ来ても良い泉質である。
四百円也
武雄温泉に浸かり、労を癒した。
いつ来ても良い泉質である。
四百円也
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